師走も残り10日余りになった。昨日、今日と昼間の気温が6、7度であるからさすがに寒い。ネックウオーマーが恋しくなった。一昨日は防寒服をまとい曇り空の中、先祖墓の掃除に出かけた。急に冷え込んできたので今年は一人で掃除に出かける。草刈りはお盆の時期ほどではなかったが周囲の落葉樹からの落葉で結構量があり処理に困った。昔はその場ですぐに焼却していたものだが今はすぐに通報されるというご時世である。
先日はおふくろ(母親)の生まれ在所近くにある畑冷泉(湧水池)に孫や長男の嫁さんとともに水を汲みに行った。我家の水も地下50m近い個所からボーリングであるので水質は良いのだが、名水となれば何となく気分的ではあるが水が軟らかくてうまい気がする。目下、煎茶やごはん炊きの際に専用で使っている。中型のポリタンクで2杯あれば2週間程度はある。
道すがら母親の先祖墓が望めるので途中その付近で(心の中で)普段の無沙汰を詫びている。祖母、祖父が健在で幼い頃に度々訪ね、冷泉に通い浸かり楽しく遊んだ昔日の思い出もはるか遠い彼方のことになった。

先日はおふくろ(母親)の生まれ在所近くにある畑冷泉(湧水池)に孫や長男の嫁さんとともに水を汲みに行った。我家の水も地下50m近い個所からボーリングであるので水質は良いのだが、名水となれば何となく気分的ではあるが水が軟らかくてうまい気がする。目下、煎茶やごはん炊きの際に専用で使っている。中型のポリタンクで2杯あれば2週間程度はある。
道すがら母親の先祖墓が望めるので途中その付近で(心の中で)普段の無沙汰を詫びている。祖母、祖父が健在で幼い頃に度々訪ね、冷泉に通い浸かり楽しく遊んだ昔日の思い出もはるか遠い彼方のことになった。
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昨日は午前中から親戚の葬儀で大分県の杵築市に出かけた。故人は連れ合いの叔母さんで満95歳という高齢の往生。多くの子供や孫、曾孫に囲まれてのある意味幸せな葬送、野辺送りだったと思う。お骨拾い、初七日が終わって帰途に就いたのが午後7時過ぎ。途中(夜の8時前後の)立石峠という山間では気温がマイナス1度を示していた。師走も中旬になりずいぶんと冷え込んで来た。ニュースによれば日本海側では早くもかなりの積雪があり除雪車が出動したという。いよいよ今年も冬将軍がやって来る時節になった。
我家の裏山では雑柑類(八朔、甘夏蜜柑など)が次第に黄色くなっている。本格的な収穫期は1~2月になるが早いものは年内に走りのものが食べられそうである。
今日は皇帝ダリアの株伐採を行い(かねてより頼まれていた)隣家Tさん宅へ出向き挿し芽を行う。隣家では今居間、台所を改装中だがそこから見える庭と畑を中心に7本を挿した。何とかうまく冬を越し活着すれば良いと思う。自分の家のであればどうでも良いけれど余所さまに挿してあげたものは活着率が少しでも高ければと願う。挿し芽は1箇所3本ずつ1時間程度で終了する。
我家の裏山では雑柑類(八朔、甘夏蜜柑など)が次第に黄色くなっている。本格的な収穫期は1~2月になるが早いものは年内に走りのものが食べられそうである。
今日は皇帝ダリアの株伐採を行い(かねてより頼まれていた)隣家Tさん宅へ出向き挿し芽を行う。隣家では今居間、台所を改装中だがそこから見える庭と畑を中心に7本を挿した。何とかうまく冬を越し活着すれば良いと思う。自分の家のであればどうでも良いけれど余所さまに挿してあげたものは活着率が少しでも高ければと願う。挿し芽は1箇所3本ずつ1時間程度で終了する。
先週土曜日は長男夫婦に誘われ孫の園の「クリスマス会」を観に出かけた。2歳半を過ぎ(昨年に比べ)ずいぶん舞台でも落ち着いて来た。だてに年は取らないものだと思う。ここのところ朝晩急に冷え込むようになって(直前に)風邪でも引かねば良いがとジイサン、バアサンは心配していたが何とか元気で演技が出来て嬉しい限りである。
ところで、先日本屋の店頭でドロシー・ロー・ノルト著による「子供が育つ魔法の言葉」という本が目に付いて時間があったので手に取り読んだ。もうはるか昔に子育ては終わっておりいささか手遅れの感だったが。
氏の説によれば、子供は親の姿をいつも見ている。ああしなさいこうしなさいという親の躾の言葉よりも、親のありのままの姿を子供はよく覚えている。毎日の生活の中で親のやること、人生に対する姿勢や処し方、生き様から良いことも悪いこともすべて吸収する。まさに子は親の鏡ということを言っている。夫婦仲が良くお互いを尊重し合って2人で日々の生活を送っておればその中から子供は安心しこの世の中はこんなに良いものだと伸びやかに育つ。誉めて育てれば子供は明るい子に育つという。
我々の時代は(今思うに)封建的でとかく叱咤激励しひたすら頑張らせて育てるのが一般的だったが、振り返ってみれば返って逆効果なことばかりであったことが多い。
昔から家は3軒くらい建ててみないと本当に理想の家は建たないものだと教えられたものだが...どっこい子育てばかりはやり替え修正が利かないものである。いろいろ考えさせられる本であったと同時に超情報化社会に入ったこれからの子育ての難しさを改めて思う。
ところで、先日本屋の店頭でドロシー・ロー・ノルト著による「子供が育つ魔法の言葉」という本が目に付いて時間があったので手に取り読んだ。もうはるか昔に子育ては終わっておりいささか手遅れの感だったが。
氏の説によれば、子供は親の姿をいつも見ている。ああしなさいこうしなさいという親の躾の言葉よりも、親のありのままの姿を子供はよく覚えている。毎日の生活の中で親のやること、人生に対する姿勢や処し方、生き様から良いことも悪いこともすべて吸収する。まさに子は親の鏡ということを言っている。夫婦仲が良くお互いを尊重し合って2人で日々の生活を送っておればその中から子供は安心しこの世の中はこんなに良いものだと伸びやかに育つ。誉めて育てれば子供は明るい子に育つという。
我々の時代は(今思うに)封建的でとかく叱咤激励しひたすら頑張らせて育てるのが一般的だったが、振り返ってみれば返って逆効果なことばかりであったことが多い。
昔から家は3軒くらい建ててみないと本当に理想の家は建たないものだと教えられたものだが...どっこい子育てばかりはやり替え修正が利かないものである。いろいろ考えさせられる本であったと同時に超情報化社会に入ったこれからの子育ての難しさを改めて思う。