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我が家の裏山がようやく色づき始めた。イチョウ、ユリノキ、アメリカンフー、サンゴモミジ、ハゼ、ノムラモミジ、クワ…などが陽に映える。遅過ぎた秋もようやく来てはや明日からは「師走」である。
木漏れ陽林の中に自生している「山帰来」の実が真っ赤に色づいた。山帰来は別名「さるとりばら」とも「マンジュウシバ」とも呼ばれるが、我々の地方(田舎)では棘いっぱいのこの植物は「ガンガラ」と呼ばれる。幼い頃にお袋がこの葉っぱを利用して餡子の入った饅頭を包んで蒸しおやつにして食べさせてくれた。今は食べることもなくなったが…「ガンガラモチ」はもののない時代の甘くほろ苦き懐かしき思い出の味である。赤い実を見ると(ああ)ガンガラだ…この年になっても遠い遠い昔を思い忘れることのない植物である。
ものの本によれば…山帰来は日本全土~朝鮮半島~インドシナ~中国にかけて広くアジア各地に分布するという。実や根は解毒作用があり何処の山にも分布することから(必要な際は)手軽に山に入れば入手出来ることから「サンキライ」という名が付いたと言われる。

今週はのっけから親戚で立て続けに不幸が(2つ)あった。一人は大正生まれの御年95歳と高齢の方、一人は先頃定年退職したばかりのようやく60歳を超えたばかりの世代…これからもう一働きしようと…第二の人生をスタートさせた矢先のこと…あまりにも早過ぎる死である。明日はその従兄弟の葬儀に関門大橋を越え参列する。
お教本では「今日とも知れず、明日とも知れぬこの命…」とのくだりがあるが…まさにその通りである。ほんとうに人間の命の終焉は分からないものである。


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山国の「かかし祭り」は始めて何年になるのだろうか…今ではもうすっかり定着したようだ。近隣はもちろん県外ナンバーの車もよく見かける。耶馬溪の紅葉見物を兼ねての定番コースになっているのだろう。各集落間の対抗?でやっているらしく(そこそこの)創意工夫、テーマがあってなかなか面白い。
チュウシャク(藁を高く積み上げたものを当地ではこう呼ぶ。)をバックに田んぼの畔で(家族揃い)休憩をとる案山子(カカシ)の風景に遠い昔を思い出す。今ではとうてい見られない光景である。



何やかや行事があり…遅ればせながら今年も山国の「かかし祭り」に行ってきた。素朴でユーモラスな案山子(カカシ)につい昔を思い出し何となくほっとする。

この祭りが終われば…のぞかな山里にも気忙しい師走がやって来る。


昨日は秋の陽射しに誘われ「奥耶馬溪」へ紅葉見に出かけた。標高の高い奥地はさすがに冷え込む。土産物店が並ぶ中心部はシーズンだけあってマイカーや観光バスがひっきりなしにやって来て多くの人々で賑わいをみせていた。紅葉の盛りをやや過ぎたといったところか…秋の陽はつるべ落としというが…3時半を過ぎるとさすがに12月が間近で寒く案山子(カカシ)見物も早々に切り上げる。

気が付いたことだが…今年の紅葉はいつもと多少趣きが異なっている。例年よりだいぶ紅葉時期が遅れ気味、広葉樹(カエデやケヤキ、クヌギ類など)の枯れ葉が(落葉期を過ぎても)樹上(小枝の先に)に残っているのが目立つ。過日訪ねた韓国慶州道の樹々も同じような状態で不思議に思ったが…これもやはり地球規模で起こりつつある気候変動のせいだろうか?

話題は変わるが…今、福岡市では九州場所が開催されている。取り組みは進み(いよいよ)最終盤にさしかかった。昨日は千秋楽を待たずに横綱白鵬の優勝が早々と決まった。そういえば…もう日本人力士の優勝者が出なくなってから何場所になるだろうか…確か大相撲は日本の「国技」だった筈だが…もう時代は外国人とか、日本人とかいう時ではないのかも知れないが、日本の若手力士に大いに頑張って貰いたいと願うのは自分だけだろうか?

今日は久しぶりに裏山の草刈り、清掃、自家野菜の収獲、隣組の花壇当番でパンジーなどの花の植え替えを行う。明日は(来週末の来客に備え)屋敷周りの清掃、園内道の手入れなどの予定。



晩秋の過日、友鹿里(韓国大邱広域市から東南25kmの距離にある)という所を訪ねた。この静かな里には「鹿洞書院」という日本人ゆかりの史蹟がある。
その昔(豊臣秀吉の時代)、文禄、慶長の役という隣国(朝鮮)侵攻があったが、その折、肥後加藤清正軍配下だった沙也可(苗字は定かではないらしい。)という人物は秀吉の朝鮮侵略を快く思わず、故あって朝鮮側に寝返り帰化して火縄銃や鉄砲製造技術などを伝授(自らが率いる兵をもって)慶州、蔚山などで戦い大いに秀吉軍を悩ませたという。これらの功績やその後の朝鮮王への数々の文武に亘る貢献により後に「金忠善将軍」との称号をいただき(慕夏堂とも称したらしい)他国人ながら重用されたらしい。ウロンクリ(友鹿里)は鹿を友とするというほどの辺鄙な地から名付けられたという。現在の達城郡吉嘉昌面友鹿里である。この静かな山里には今でも沙也可の子孫たちが暮らしているという。
史蹟は鹿洞書院、祠堂、向陽門、神道碑、忠節館などの一連の建物からなり、忠節館では市の文化観光解説士(ボランティア)さんが詳しく歴史的経緯を説明してくれた。一説によれば…沙也可は忍者集団「雑賀」の一族から来た名前ではないか?という説もある。

釜山~大邱へは見事に整備された高速道路を走った。行けども行けども…どこまでも広がる山野。16、17世紀の時代によくもこんな所まで(遠く)日本から甲冑に身を固めた兵を連れ秀吉軍は攻め込んで来たものだ…と車窓を眺めながらに感心するやら呆れるやら…

慶尚道の田園では稲の収獲がほぼ終わり辺り一面「玉葱」畑とやや背の低い小型ビニールハウスが延々と連なっていた。釜山直轄市と大邱広域市の人口は両市合わせて6百万人を猶に超える。人々の胃袋を満たすにはこうした近郊農業の役割が大きいのだろう。今韓国では米国とのFTA締結で揺れている。日本でもTPP参加表明で大いに物議を醸している。
グローバル化する社会のはざ間でこの先「農業」に活路は見出せるのか…2つの国が直面している大きな課題でもある。



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