我家の車庫裏にあるモッコウバラ(木香薔薇)の花が次々咲き始めた。昔、県南で苗木商を営む友人から小苗を分けて貰ったものである。白系と淡黄系の2品種ある。毎年4月下旬頃になると一斉に咲き始める。薔薇(バラ)と言っても、棘は無く、葉も極めて小さい。花は枝にびっしりと着く。木香薔薇の名の通り、香りは大変良くて付近を通ればすぐにそれと分かる。樹勢は比較的旺盛で、細い枝が2~3mの高さに伸びる。常緑で寒さに弱いと言われるが、我家では冬期に剪定を行うのみで葉や枝が枯れ込むようなことはない。
先日、日本蜜蜂の分蜂を促そうと、3箇所ある蜜箱の周りに金稜辺(キンリョウヘン)=蜂蜜蘭の鉢を置いたがニホンミツバチが寄り付かない。そう言えば、今年は辺りで咲いている花々に集まって飛び交うミツバチの姿を見かけない。新型コロナウイルス流行で世間は静まり返っているが、ミツバチなどの小動物たちにはウイルスの流行を察知できるのだろうか?いやむしろ、自然界の生き物の方がより敏感なのかも知れないと思う。
先日、日本蜜蜂の分蜂を促そうと、3箇所ある蜜箱の周りに金稜辺(キンリョウヘン)=蜂蜜蘭の鉢を置いたがニホンミツバチが寄り付かない。そう言えば、今年は辺りで咲いている花々に集まって飛び交うミツバチの姿を見かけない。新型コロナウイルス流行で世間は静まり返っているが、ミツバチなどの小動物たちにはウイルスの流行を察知できるのだろうか?いやむしろ、自然界の生き物の方がより敏感なのかも知れないと思う。
屋敷へのアプローチの坂にある、数十年前に植えた山吹(ヤマブキ)に花がびっしりと今を盛りに咲き誇っている。樹高は1.5mくらいで、垂れ状態の枝に黄色い花が見事に着いている。昔の詩歌に「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞ悲しき」というのがあるが、そのヤマブキである。室町時代の文武両道にたけた武将の太田道灌という人が、鷹狩りの途中に、突然のにわか雨に遭い、雨宿りした農家の娘に、蓑を一つ貸してはくれないかと頼んだところ、その家の娘が、黙ってヤマブキの枝を差し出したのが分からず、後になって、その意味は、お恥ずかしいことながら、我家は貧乏で、お貸し出来る蓑(雨具)がありませんと言いたいところを、ヤマブキの枝を折り太田道灌へ差し出したのだというのを知り、太田道灌は己の無知、無学を恥じ、(その後)いっそう勉学に励んだという話である。山吹は秋になっても実(種)を着けない。娘は、それになぞらえて実の一つだに(蓑一つも)ありませんとお断りしたという逸話である。
暦の上では4月19日は「穀雨」だという。穀雨(こくう)とは春の雨が大地を潤おし始め、野菜や穀物などの種を播く時期になった頃とをいう。山間部などでは、そろそろ水稲の種もみを播く頃でもある。予報では(今日は)午後から天気が崩れるようだ。
暦の上では4月19日は「穀雨」だという。穀雨(こくう)とは春の雨が大地を潤おし始め、野菜や穀物などの種を播く時期になった頃とをいう。山間部などでは、そろそろ水稲の種もみを播く頃でもある。予報では(今日は)午後から天気が崩れるようだ。
庭の山躑躅(ヤマツツジ)が今年も綺麗に咲いた。このヤマツツジは、遠い昔に親父がまだすこぶる元気だった頃におやじと一緒に裏山にあった小さなものを引っこ抜いて、我が家の屋敷の一角に植えたものである。その後(現在の家を建ててから)今の位置(屋敷北側の隅)に移植したもので、もうかれこれ移植して後40年以上の年月が過ぎた。
毎年4月中~下旬に決まって深紅の綺麗な花を咲かせる。最近は枝がだいぶ混んで来たので冬に剪定をして3分の1ほど枝間引きをし、日光が入り易く、配合肥料なども施した。この真っ赤なヤマツツジの花を見ると、昔の情景が瞼にくっきりと浮かんで来る。あの頃は周囲の山々にはまだ木々が現在のように繁茂してなく、秋になれば、黄色いオミナエシ(女郎花)や紫色のキキョウ(桔梗)、センブリなどが点々と自生していた。半世紀以上も前になるが、ずいぶんと時代が変わったものである。
家から見る周辺の山々は、今まさに「緑が萌える」という表現がぴったりの情景である。新型コロナウイルス感染拡大の現実が無ければ、どんなに浮き浮きする風景だろうと思う。長い人生、時として何が起こるか分からない。未曽有とも言うべき、先が見えない日々を過ごすのは本当に辛いものである。
毎年4月中~下旬に決まって深紅の綺麗な花を咲かせる。最近は枝がだいぶ混んで来たので冬に剪定をして3分の1ほど枝間引きをし、日光が入り易く、配合肥料なども施した。この真っ赤なヤマツツジの花を見ると、昔の情景が瞼にくっきりと浮かんで来る。あの頃は周囲の山々にはまだ木々が現在のように繁茂してなく、秋になれば、黄色いオミナエシ(女郎花)や紫色のキキョウ(桔梗)、センブリなどが点々と自生していた。半世紀以上も前になるが、ずいぶんと時代が変わったものである。
家から見る周辺の山々は、今まさに「緑が萌える」という表現がぴったりの情景である。新型コロナウイルス感染拡大の現実が無ければ、どんなに浮き浮きする風景だろうと思う。長い人生、時として何が起こるか分からない。未曽有とも言うべき、先が見えない日々を過ごすのは本当に辛いものである。