令和6年が明けた。元日早々能登半島の大地震のニュースが飛び込んで来た。震度7を超える大きなもので津波も伴って大きな被害を与えている。道路がズタズタに寸断され救助活動も思うように進まないという。一方、羽田空港ではJL機と地震の被災地に向けて物資を運ぼうとしていた海上保安庁の飛行機が滑走路上で激突して大破、炎上した。いずれに過失があったか?現在調査中である。幸いなことにJL機の乗客数百名は無事に脱出して事なきを得たが、海保機の乗員5名は亡くなった。波乱の幕開けである。
我家の庭には南天(なんてん)が植えてある。昔から庭に南天を植えるのは「難を転ずる」という願いを込めて植えられたのである。裏山にも南天がいっぱい生えているが、こちらはヒヨドリやモズなどの野鳥が南天の実を食べて糞と一緒に排出し自生するようである。冬季の寒さの中で艶やかな朱色の南天に令和6年の難を転じて欲しいと願う。
我家の庭には南天(なんてん)が植えてある。昔から庭に南天を植えるのは「難を転ずる」という願いを込めて植えられたのである。裏山にも南天がいっぱい生えているが、こちらはヒヨドリやモズなどの野鳥が南天の実を食べて糞と一緒に排出し自生するようである。冬季の寒さの中で艶やかな朱色の南天に令和6年の難を転じて欲しいと願う。
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令和5年もあと残り数日となった。1年が経つのは実に早い。近頃は特に猛スピードで時間が過ぎて行く感じがする。昔から年の瀬は師走と言うだけあって何となく気忙しい。恒例の先祖墓の大掃除は先週末に終えた。一昨日は家周辺の道路愛護を2時間ほどかけ行った。ささやかなボランティアである。
昨日は家で朝からお餅を搗いた。孫が友達を連れて手伝いに来てくれて大いに助かった。昔ながらの釜炊きによる我家恒例の「お餅搗き」である。昔から我家では正月飾りをする個所が多いのと子供宅や友人の分まで一緒に搗く。アンコ餅やキナ粉餅などもつくり楽しんだ。最近ではお餅そのものをそんなに食べないという家庭が増えている。昔は餅搗きといえば年中行事で各家で親子2代3代集いワイワイガヤガヤと餅搗きを行ったものだが今はもうそんな賑やかな風景は見られない。
昨日は家で朝からお餅を搗いた。孫が友達を連れて手伝いに来てくれて大いに助かった。昔ながらの釜炊きによる我家恒例の「お餅搗き」である。昔から我家では正月飾りをする個所が多いのと子供宅や友人の分まで一緒に搗く。アンコ餅やキナ粉餅などもつくり楽しんだ。最近ではお餅そのものをそんなに食べないという家庭が増えている。昔は餅搗きといえば年中行事で各家で親子2代3代集いワイワイガヤガヤと餅搗きを行ったものだが今はもうそんな賑やかな風景は見られない。
令和5年もだんだん残り少なくなってきた。時間というのは知らず知らずの間に静かに(そして確実に)流れゆく。ふっと気が付けばいつこんなに年を重ねたのだろうと驚く。毎朝新聞の活字に目を落とすが、最近の日本は政治も経済も惨憺たる状態になった。嘆かわしい事態である。常識やモラルというものが失われもはや後進国並みと言わざるを得なくなりつつある。嘆いてみてもどうしようもないのだが先行きが思いやられる。
師走も最後半に入り寒波襲来で急に冷え込んでいる。野菜の葉っぱも凍結で萎れている。毎日歩いている農道から我家の田んぼを眺めた。先日は積雪があり一面白化粧だった。年末は寒波がやって来るかと思いきや(予報では)お正月は近年にない暖かさになるという。年始は鷹栖観音の「千日詣り」に出かけようと思っている。1月10日(この日にお参りすれば)に行けば千日お詣りしたと同じご利益があるという。
師走も最後半に入り寒波襲来で急に冷え込んでいる。野菜の葉っぱも凍結で萎れている。毎日歩いている農道から我家の田んぼを眺めた。先日は積雪があり一面白化粧だった。年末は寒波がやって来るかと思いきや(予報では)お正月は近年にない暖かさになるという。年始は鷹栖観音の「千日詣り」に出かけようと思っている。1月10日(この日にお参りすれば)に行けば千日お詣りしたと同じご利益があるという。
先日、紅葉を愛でようと国東半島の古寺を3つ訪ねた。長安寺は花の寺として知られ寺院としての歴史も古い。かっては国東六郷満山の総山(中心的役割)であった。境内の紅葉は見事だが今年は少し様子が違った。何だか赤色も黄色も今一の感じだった。次に両子寺を訪ねた。山道から総門に至る石段の両脇のモミジのトンネルは素晴らしいのだが・・・、今年はすでに散っていた。境内付近のイロハモミジのみが僅かに艶やかさを見せていた。坊守さんの話では紅葉するのも早く散るのも早かったという。夏の猛暑の影響ではないか?との話をされていた。帰路に立ち寄った天念寺の大銀杏もすっかり葉を落としていた。気候変動がじわりとここら付近にも押し寄せているのだろうか?
師走に入り「喪中はがき」が届くようになった。近年はコロナ禍もあって葬送の形も変って訃報を後で知ることが多くなった。奥さんや子供さんは故人の交友関係を知る由もない。喪中はがきで初めて亡くなったのを知るが故人との交友を思い出し少し寂しくなる時節である。
師走に入り「喪中はがき」が届くようになった。近年はコロナ禍もあって葬送の形も変って訃報を後で知ることが多くなった。奥さんや子供さんは故人の交友関係を知る由もない。喪中はがきで初めて亡くなったのを知るが故人との交友を思い出し少し寂しくなる時節である。